カンボジアの首都プノンペンにあるトゥールスレン虐殺博物館を訪れたとき、正直に言うと「衝撃だった」という言葉では足りなかった。
そこはかつて「S21」と呼ばれた収容所であり、元は学校だった建物が、人を壊すための場所に変えられていた。教室は仕切られ、独房は公衆トイレのような狭さ。収容者同士の会話は禁止され、「自由になりすぎるな」という言葉が掲げられている。人間としての最低限の尊厳すら、そこにはなかった。

カンボジアに来た理由については別の記事でも書いてるが主な理由はこちら👉【なぜ自分はカンボジアを選んだのか】
カンボジアで何が起きていたのか
1970年代、ポル・ポト率いるクメール・ルージュは、理想的な平等社会を目指して急進的な政策を進めた。
都市に住む人々は「資本主義的」と見なされ、爆撃の危険を理由に地方へ強制移動させられる。「すぐ戻れる」と言われながら、実際には帰ることはなかった。妊婦も、外交官も例外ではない。
社会は徹底的に均一化され、知識人は排除された。文字の読み書きができることすら危険とされ、髪型や服装も統一される。人々は名前ではなく「それ」と呼ばれ、個人としての存在は消されていった。
食事は一日二回、わずかなおかゆだけ。にもかかわらず、過酷な労働が課される。12時間以上、時には19時間にも及ぶ作業で、膨大な収穫量が求められた。マンゴーを取ることさえ「窃盗」とされる環境の中で、人々は極限状態に追い込まれていく。
S21で行われていたこと
トゥールスレンでは、「殺さずに拷問する」ことが目的とされていた。
一日三回の拷問。ムチや電流、水責め、昆虫を使った拷問。叫ぶことすら許されない。椅子に座らされ、写真を撮られる。その無表情な顔の奥に何があったのか、想像するしかない。
銃弾は節約され、大人は鉄の棒などで処刑されることもあった。収容者の中には「どうせ死ぬなら早く死にたい」と思う者もいたという。
ここで強く感じたのは、「これは過去の出来事」という一言では片付けられないということだった。


カンボジアだけの話ではない
展示を見ていて印象に残ったのは、犠牲者がカンボジア人だけではなかったことだ。ベトナム、ラオス、インド、パキスタン、さらにはオーストラリア人も含まれていた。たとえば航海中にカンボジアの海域で拘束され、後に処刑された人物もいる。
つまりこれは、「一国の悲劇」ではなく、人間社会そのものが持つ危うさの表れだと感じた。
さらに考えさせられたのは、展示されているものが“すべてではない”という点だ。写真すら残っていない人、記録されていない拷問。存在していたはずの人生が、完全に消えてしまった可能性もある。
この体験は特別じゃなくて、日常にも繋がっている👉【カンボジアで価値観を壊された話】
なぜここまで極端になったのか
現地で考え続けていた問いがある。
なぜ革命はここまで極端になったのか。
なぜ普通の人が加害者になり得たのか。
ポル・ポトは「狂っていた」だけで説明できるのか。クメール・ルージュは単なる共産主義だったのか。
一つ感じたのは、「理想を強く信じすぎたときの危うさ」だ。平等であるべき、格差は悪だ、そうした考え自体は一見正しい。しかし、それを実現するために「異なる存在を排除してもいい」という思考に変わった瞬間、社会は一気に暴走する。
そしてもう一つは、「構造」の問題だと思った。監視、同調圧力、密告、そして恐怖。そうした環境の中では、人は簡単に加害者側に回る可能性がある。


日本社会との距離
この出来事を遠い国の話として終わらせるのは簡単だ。でも、本当にそうだろうか。
極端ではないにせよ、日本にも同調圧力や空気を読む文化は存在する。「みんなと違うこと」が排除される場面も少なくない。
もちろん、同じレベルで語ることはできない。ただ、「構造の一部」は確かに共通していると感じた。
ここで得た学び
トゥールスレンを出たあと、頭に残っていたのはシンプルなことだった。
「人は簡単に壊れるし、簡単に加害者にもなり得る」
そしてもう一つ。
「だからこそ、考え続けないといけない」
歴史を知ることは、過去を学ぶためだけではない。未来で同じことを繰り返さないためだ。
カンボジアで起きた出来事は、決して“どこか遠くの国の話”ではない。
それをどう受け取るかは、自分次第だと思う。
最後まで見ていただきありがとうございます🙇♂️
他にもスラム街へ初めて訪れた際、価値観が変わった話、海外で感じた違和感などのリアルな記事も書いているのでよかったら見ていってくださいね。
また、カンボジアに行くか迷っている人はこちら→【カンボジアインターンは危険?正直レビュー】
カンボジア旅行を考えている人はこちら→【カンボジアでやってはいけないNG行動10選!】


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